イタリアで今、何が起こっているのか

世界中でクラシックバイクの人気が高まるにつれ、DUCATIシングルの価値も上がってきているのが今の現状です。

それに伴っているわけではないと思いますが、原産国のイタリアでパーツのリプロ(再生産)がかなりされるようになってきました。

そのリプロされたパーツ達はメーカーから直接供給されているわけではなく、昔の下請け部品メーカーが作ってくれている物が流通されているようです。リプロとは言っても、当時と同じものを現代の技術と品質で作ってくれてますのでなかなかいい出来だと思います。

もともとイタリアには小さな部品メーカーがたくさんあり、そこから供給された部品を使って製品を組み立てるバイクのメーカーが数多くありました。日本も同じでしたが、黎明期があり、発展期となり、乱立期そして淘汰期という歴史を辿っています。(イタリアにも昔はいっぱいあったようです)

30年前はどうだったのか?

私がDUCATIシングルに乗り始めた30年ちょっと前はパーツの入手に非常に難儀しました。あったとしてもとても高くて、貧乏サラリーマンには手が出せません。(初号機を手に入れたのは1985年ですから、発売から10年ほどたった時で一番パーツの無い時代だったと思います。それに車歴10年以上のものは1年車検しか取れない、そんな時代でした。>悲)

【1985年の東京時代の一コマ、アパートの1階に置いてました】

当時はバイクブームの影響からか海外から輸入されたクラシックバイクのオークションも行われ、バイク雑誌で紹介されるようになってました。この初号機はあるデパートで行われたオークションで落としたものですが、これがセッティングがデタラメでまともに走るようになるのに1年かかったんです。(この話はまた今度)

金が無いなら知恵を絞りだすしかありません。

幸い、東京時代の友人が海外事情に詳しく、英語もペラペラだったので、その友人に教えてもらいながら海外にパーツ調達の道を求めました。

当時、資料として持っていたのは、ヘインズのマニュアルと英オスプレイ社の「DUCATI SINGLES」ミック・ウォーカー著、そして髙斎正先生が訳された「ドゥカティ・ヒストリー」(原作はアラン・カスカートさんのDUCATI)などです。

【当時から大事に持っている資料、マニュアルはかなり傷んでます>涙】

この辺の資料見たり、送ってもらったパーツカタログや品番リストを見ながら、エアメールでパーツを頼んだのが最初です。(1989年2月ごろ)

その頃、企業間の通信手段としてはFAXが一般化してきました。また、今のAU、KDDIがKDDだったころ一般家庭の電話からも国際電話ができるようになったので、会社に頼んで国際FAXを使わせてもらい、海外とFAXでやり取りできるようになりました。(1989年3月以降)

昔の発注書をひっくり返して見てましたが、パーツだけでなく、中古エンジンとかも送ってもらっていました。(中古のレベルが日本とは明らかに違っていたのは驚きでしたが>涙)

その後、1989年6月に新潟に戻りましたが、パーツ注文のために親父の会社のFAXを使わせてもらって夜な夜な国際FAXを流しに行ったのを覚えています。そうこうしている内に家庭用FAX(おたっくす)が発売され、待ってましたとばかりにさっそく買ったのは言うまでもありません。(たしか当時6万円>笑)

私がインターネットを使い始めたのは1995年の春からですが、それはFAXでのやり取りがいずれパソコンを使ったデータのやり取りに替わるだろうと見越したからです。その後は皆さんご存じのようにインターネットでなんでもできる時代になりましたね。

【1995年GWの頃に谷川岳の方で行われた部品交換会に参加、マービック以外は輸入したもの】

いつからリプロが盛んになったのか

バイクの世界でインターネットが普通に使われるようになったきっかけはやはり2000年1月1日からのDUCATI MH900eの販売受付ではないでしょうか?

バイクがネットでも売れることを証明したエポックメイキングな出来事です。

あの頃どうしてもMH900eのプロトタイプが見たくて、2000年6月にWDW2000(World・DUCATI・Weekend)に行きましたが、あの熱狂というか盛り上がりは日本国内とは違う感じを強く受けました。

DUCATIは決してノスタルジックなバイクメーカーではなく、現在スーパーバイクの最前線で戦ってるみたいなそんな感じです。うまく表現できませんが、なんか違うんです。

それと驚きだったのが、日本が占めるシェア。多くの日本人は大多数のDUCATIが日本に入ってきていると勘違いしてますが、実際には数パーセントしかありません。これは間違った情報を流したバイク雑誌の責任ですね。(ボローニャの工場に貼ってありました)

この時の様子をWebサイトに上げたのですが、ここからducati-singles.comが始まりました。



2000年の頃には海外とのやりとりもインターネットで済むようになり、パーツ探しもラクになりました。

この当時、作られていたものとしては、どちらかというとクラシックレースで使うようなチューニングパーツのようなものが多く、ノーマル用は純正のデッドストックか中古を見つけるしかない、みたいな時代です。

代替え品を探そうにもちょっと特殊なものは無い、なら自分で作るべ!とやってみたのがリアサス用の袋ナットです。

このナットは緩み止めのためか、ねじサイズがM10xP1.0と細目の細目になっており、一般には市販されていません。サビたり転倒によって削れて変形したものではカッコがつきません。デッド・ストックを見つける度に入手するようにしてましたが、それでも数は限られています。(通常手に入るサイズはM10xP1.5)

そこでねじの問屋さんにお願いして特注で作ってもらいました。それが2008年の8月です。

【特注で作ってもらった袋ナット、これもうすぐ在庫が終了します】

この袋ナットは既存のお客様やヤフオクなどで多くの方に入手していただきました。またそれがきっかけでご縁をいただいております。ありがとうございます。

袋ナット自体は満足のいく出来でしたので、海外のパーツディーラーにも聞いてみました。

そしたら面白いもので似たようなことを考えるんですね!自分たちも作ったよって!(笑)

そんなわけで海外進出は果たせませんでしたが(笑)、この頃からDUCATIシングルを取り巻く環境が変わってきたように感じてました。

丁度この頃でしょうか、BPヤマトさんのワイヤー作成キットなども発売され、レストアや補修がやりやすくなってきたのは、、、、、、。

同じ頃、イタリアでDUCATIシングルのパーツがリプロされている情報が入ってきました。それまではデッドストックを目を皿のようにして探し、パーツカタログの品番と照らし合わせていたのに、それすら不要になりそうです。(おかげでパーツ番号の規則性とかも覚えたのですが、、、、。>笑)

提供されるパーツの種類も年々増えてきています。今ではこんなものまで手に入るのか!と驚きの声を隠せません。いい時代になりました。

ドイツでは2030年にはガソリン車の販売を止めるという話がありますが、その時が来るまではDUCATIシングルをガンガン走らせて楽しむことができるでしょう。

もしお手元のDUCATIシングルが眠ったままであるとか、調子が悪いとしても心配はいりません。必ずや元気に走らせてあげれると思います。

下記のリンク先ページにリプロで入手できるパーツ(360アイテム以上ありました)のリストをPDF化して貼り付けておきました。(種類や名称、価格など)

困ったことに米大統領選のあと円安が進んできました。これ以上為替相場に変動をきたすと値上げも考えなくてはいけません。もしご興味がある、何か必要なものがあるということでしたら、ぜひリストだけでも目を通していただき、今後の対策や計画を練っていただければと思います。


次回以降、どのようなパーツがリプロされているかについてご紹介させていただこうと思います。

ご覧いただきありがとうございます。

お役にたてればとても嬉しいです。

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